白地に黒のウェアを着てバレリーナのようにポーズをとる女性。赤いタイトル文字。
素晴らしくシンプルで調和の取れたスタイルの表紙が目に留まりました。
それが『Yogini』。
「ヨギーニとはヨガをする女性」とタイトル文字の上に記してあります。なるほど。これはヨガのポーズでしたか。
以前、スポーツクラブに通っていたころ、ヨガのレッスンを受けるチャンスはありましたが、結局一度もチャレンジしたことはありませんでした。
なんというか、うさん臭くて。
と、いうと失礼なのは重々承知しているのですが、「スポーツに思想がまとわりついている感じ」がして敬遠してしまった、というのでしょうか。
もっと長い距離を走れるようになる、とか、試合に出られるようになった、とか、そういうシンプルな楽しみだけではなくて、ライフスタイルを変えていこう、とか、精神性を高めようとか、なんだかちょっとめんどくさい感があるというか。
もちろん、私の勝手な先入観ではあるのですが。
と、いうわけで自分からヨガに挑戦しようと思ったことはありません。
ただ、ヨガが大人気なことや、一過性のブームではなくて日本に根付いた趣味のひとつだということに異議を唱えるわけでもありません。
折角今回はご縁があったように思いますので、『Yogini』を通じてヨガについて学んでみたいと思います。
なんと『Yogini』は創刊15周年を迎えたところだとか。そして新創刊として、これまではムック扱いだったのが今号からは雑誌となったそうです。
おぉ、それはすごい。おめでとうございます。
私はもともとスポーツジャンルには疎いですし、ムックなら尚更手に取る機会が少なかったと思うので『Yogini』の存在を知らなかったのも道理ですが、15年も続けるというのは並大抵のことではできないと思います。
そんな記念すべき新創刊第1号の特集は「ヨガと非暴力~アヒンサーの考え方、そして用い方」。
……はい?
反射的にガンジーを連想したのですが、何が何やら。
読んでもはたして理解できるのでしょうか。
『Yogini』2018.11月号(Vol.66)目次
何でしょうか、この充実っぷり。
特集●ヨガと非暴力 アヒンサー
そもそもアヒンサーとは何か。
特集はそこから始まります。
監修しているのが東京大学インド哲学仏教学研究室の加藤隆宏准教授とのこと。
やはりがっつりと東洋哲学なのですね。
さて、アヒンサーというのは
『ヨーガスートラ』に出てくる八支則の最初にある「ヤマ」(禁戒)の筆頭に出てくる考え方で、そもそもは「不殺生」という意味
禁戒というと、やってはいけないことのように思いましたが、
「ヤマ(禁戒)とは不殺生・真実・不盗・禁欲・無所有である」
『ヨーガスートラ』、すなわちインド哲学のヨーガ学派の経典のひとつにはこのように述べられているそうなので、やってはいけないこと、というよりも「掟」と捉えた方がよさそうですね。
少しややこしいです。
そして、この「アヒンサー」は、因果応報のルールにのっとってコミュニティを形成し、円滑に運営していくための基本理念と考えられるという説明がありました。
人を殺めるとその報いを受けるので、違う宗派や教団との争いは話し合いを行い、できるだけ避けようというのが「不殺生」の大元にあるようです。
約束を守らない人や団体には何の意味もなさそうな気もしますが、まぁそれは別の話なのでしょう。
興味深いと感じたのは、行為に関する戒律の場合、行うのは当然NG。言葉にすることもダメ。更には思う、考えることすら許されないということでした。
「不殺生」なら、未遂も含む殺人はもちろんもってのほか。相手に対し、殺意を含んだ言葉を投げつけるのも不可ですし、心の中で思うことすらしてはならないのです。
思うこともしなくなるまでがルールを守ること
だそうですが、これは…
想像以上に厳しいと言いますか、スポーツクラブで日々ヨガのレッスンに励む中高年女性は、全員ここまでちゃんとしたトレーニングをしているのですか、と激しく疑問に思いました。
まぁ精神性を高めるのは非常に重要なことだと思いますし、修養は立派なことだというのは間違いありません。
ですが、私のような何も知識のない人間から見ると、そもそも『ヨーガスートラ』とヨガのレッスンが、どの程度結びついているのかがちょっとはっきりしませんね。
そのあたりがもう少しクリアになればよかったのですが…
私のイメージするヨガのレッスンというと、お香なんかを焚いちゃって、静かなヒーリングミュージックの流れる中でゆったりと呼吸をしながらポーズをとる… という感じなのですが、それとは別に哲学を学ぶ必要もあるということでしょうか。
でもスポーツクラブでは、そこまでケアしてくれないでしょうし、やっぱり興味を持ったら自分で学べということかな。
さて、ヨガを実践する人々にアヒンサーについて聞いたコーナーは、全員男性でした。
ヨガを学んでいるのは女性が多いという風に思っていたのですが、そういうわけでもないようです。
顔ぶれはヨガ界の第一人者のほか、医師や曹洞宗の僧侶、そして片岡鶴太郎。
片岡鶴太郎がヨガのレッスンを受けてインド政府公認のヨガマスターにまでなっていたことは知りませんでした。芸術方面から何かつながったのかな、と思いましたが、興味がわいたことをどんどん突き詰めていく行動力は素晴らしいですね。見習いたい。
とはいえ、アヒンサー、非暴力という概念はさすがに少し難しいですね。
ヨガのポーズを実践していく上では
(難しいポーズを取ろうとすることで)自身を痛めつける行為、理想像に近づいてボーダーを超え、目的を見失う行為、そして自分はダメだと自己否定する行為もアヒンサーに反しているのだ。
ということになるようです。
上級のポーズに到達するために頑張るのではなく、自分の体の健康のため、健全な内面を持つために練習する、という気付きを持つよう心掛けるのがアヒンサーへの道なのだそうです。
つまり、ヨガはスポーツではないんですね。自分の体を外から見る(走った距離、タイム、スコアなど)のではなく、あくまで内側から心身をチェックする。そんな感じでしょうか。
ならば、ヨガのインストラクターというのはセラピストとか作業療法士といった立場になるのかな。
少し理解できたような気がします。(それなのに、雑誌カテゴリ的にはスポーツ・アウトドアになってしまうジレンマよ…)
ただ、これだけではまだ当然理解が及ばないので、20人の人気インストラクターに聞いた「私にとってのアヒンサー」というインタビュー記事が参考になりました。
- 「非暴力」とはどういうことだと考えるか
- 日常生活の中で「非暴力」をどのように実践しているか
- ヨガの練習における「非暴力」で実践していることは何か
という質問に対する答えを読んでみると、実生活におけるアヒンサーのあり方がなんとなく見えてきました。
環境に対してやさしく=ペットボトル飲料を購入する機会を減らす、時間の使い方に気をつける、怒りや不快感が生まれた時は一息つく、などこれなら心掛け、実践できそうというものもありました。
そして、何より皆さんが前向きで協調的で、謙虚な感じがするのがとても印象的な記事でした。
もしこれがヨガの成果なのだとすれば、確かにメンタルも向上させることができそうに思います。
性格、特にネガティブなものは変えることが難しいと言われますし、私自身もそう思っていましたが、案外そうでもないのかもしれません。
やってみようかな、ヨガ。
『Yogini』2018.11月号の感想とまとめ
最初は面白いかどうか、そもそも理解できるのかどうかが不安でしたが、読んでみたらこれがなかなかどうして楽しかったです。
ヨガはスポーツに思想がくっついたものではなく、哲学に体のトレーニングがくっついたものと理解しました。あれでしょ、お寺で座禅の修業をするのと同じようなものでしょ。(全然違う?)
どうも私は、体を鍛えたいという志向が極端に行ってしまうのが怖いというか、警戒してしまう傾向にあるみたいですね。ですから、ヨガってアヤシイ感じ… と思っていたのですが、そもそも哲学ありきなら、何とも思いません。むしろ、精神を鍛えるのは素晴らしいですし、私も実践したいです。
ただ、特にアヒンサー、非暴力を唱える場合に関して言えば、戒律やルールを理解しない、もしくはルールを自分たちに都合のいいように捻じ曲げる人や集団、そういう異分子と対面した時のことが怖いとも思います。
まぁ、非暴力というのは必ずしも相手の言うことをストレートにすべて受け入れることを指すのではなく、必要ならば相手に厳しく接し、指導することも含まれているようですから大丈夫だといいのですが。
それから、残念ながらさすがに専門誌というべきなのか、全くの初心者がすぐに始められるようなポーズの紹介などといった記事は(電子版には)なかったようなので、ヨガを始めたいからこの雑誌を読むというのは適切ではないかもしれません。
ヨガってどんなものなのかな、ちょっと知りたいなという人で、理論面から入る傾向の強いタイプにはいいと思います。アーユルヴェーダ(インド哲学)をベースにした人間関係クリニックなど、面白い少し軽めの読み物もたくさんありますし。
さて、次号特集は「世界一受けたい授業(クラス)」とのこと。
と、いってもヨガ限定なのでしょうから、どんなマニアックな授業なのか…
時間があったら読んでみようと思います。
2018.09.23配信開始//2019.9.22配信停止
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